ニュースでよく見る市場は本当に伸びている?事業判断の前に見るデータ
ニュースで特定の市場が繰り返し取り上げられると、「今はここに参入するべきでは」と感じることがあります。企画担当者が新規事業への投資を考えるとき、話題の多さは調査を始めるきっかけになりますが、それだけでは市場が伸びているとは判断できません。
まず確かめたいのは、何を「市場」と呼び、売上高・販売数量・利用企業数などのどれが、いつからいつまで増えたのかです。そのうえで、増えた需要が自社の狙う顧客にもあるのかを調べます。ニュースを無視するのではなく、気になった話題を検証できる問いに変えることが大切です。
ニュースの目立ちやすさが、市場の大きさに見えるのはなぜか
例えば、企業向けのAI研修サービスを企画している担当者が、関連するニュースを一週間に何度も目にしたとします。投資発表や新サービスの発表も続き、「研修の有料需要が急拡大している」と感じるかもしれません。これは説明用の仮の場面です。
ただし、報道されたのが投資金額なのか、導入企業数なのか、実際の研修売上なのかで意味は違います。同じ企業の発表が複数媒体に転載されている可能性もあります。ニュースに接する回数は、顧客が料金を支払った件数ではありません。
心理学では、出来事の頻度や起こりやすさを、関連する例の「思い出しやすさ」で見積もることがあると考えられています。これを「利用可能性ヒューリスティック」といいます。TverskyとKahneman(1973)は、単語の種類や繰り返し起きる出来事などの頻度の判断で、思い出しやすさが判断に関わり、実際の頻度からずれる場合があることを示しました(Tversky・Kahneman, 1973)。詳しい心理の仕組みは利用可能性ヒューリスティックの解説でも紹介されています。
また、Lichtensteinら(1978)は、さまざまな死因による死亡頻度を人がどう見積もるか調べ、実際の頻度に対して一部の死因が多く、別の死因が少なく見積もられる傾向を確認しました(Lichtensteinら, 1978)。これに関連してCombsとSlovic(1979)が米国の新聞2紙の死亡原因の報道を分析すると、暴力的・突発的な死因が比較的多く扱われ、病気による死因は少なく扱われていました。この偏りは先行研究で見られた人々の頻度判断の偏りと対応していました(Combs・Slovic, 1979)。
これらは市場規模や新規事業の投資判断を直接調べた実験ではありません。また、新聞の分析は報道が判断の偏りを引き起こしたと証明するものでもありません。ここから事業判断に応用できるのは、「何度も見聞きした」という印象を、そのまま市場の増加を示す数字の代わりにしない、という点です。
市場が伸びているか判断する前に、何を確かめるか
ニュースが示す「伸び」は何の増加か
まず、気になった記事の見出しではなく、元の発表資料で指標・対象・期間を確認します。企業の資金調達額、検索件数、無料利用者数、有料契約数、市場売上高はそれぞれ別の数字です。前年比でも、昨年の一時的な落ち込みから回復しただけの場合があります。複数の報道が同じ発表を元にしていれば、独立した裏付けとして数えません。
自社が狙う市場と、統計の対象は同じか
「国内のAI関連市場」と「地方の中小企業が有料で利用するAI研修」は、同じ市場とは限りません。地域、顧客の規模、商品・サービスの範囲、無料・有料の区別を先に決めます。統計の業種区分が広すぎる場合は、その数字だけで自社の顧客数を推定しないようにします。
公的な数字の確認先としては、卸売・小売の販売動向を扱う経済産業省「商業動態統計」、サービス産業の売上動向を扱う総務省統計局「サービス産業動態統計調査」、産業の構造を把握する「経済構造実態調査」があります。どの統計が役立つかは事業内容によります。なお、サービス産業動態統計調査は2025年1月に始まり、以前のサービス産業動向調査は2024年12月で終了しています。異なる調査の数字を、そのまま同じ条件の長期推移としてつなげないよう注意が必要です。
金額と数量、比較する期間を分けているか
売上高が増えたからといって、買う人や購入件数が増えたとは限りません。次の表は計算を示すための仮の数字で、実際の市場データではありません。
| 指標 | 前年 | 今年 | 変化 |
|---|---|---|---|
| 販売件数 | 1,000件 | 1,000件 | 変化なし |
| 1件当たりの平均売上 | 10万円 | 12万円 | 20%増 |
| 売上高 | 1億円 | 1億2,000万円 | 20%増 |
この例では、売上高は伸びても販売件数は増えていません。価格や商品構成による変化か、利用者・利用頻度の増加かを区別する必要があります。月次の数字を見るなら、季節の影響を避けるため前年の同じ月とも比べ、可能であれば複数年の推移を確認します。速報値と確報値、集計方法の変更にも注意します。
ニュースを事業判断に使うための進め方
次の手順は研究で効果を直接検証した方法ではなく、研究の知見と公的統計の性質を踏まえた実務上の提案です。
- 気になったニュースを一文の仮説にする。 例えば「国内で企業向けAI研修の有料契約が増えており、当社が対象とする中小企業でも継続契約の需要がある」と書きます。「話題だ」と「お金を払う顧客が増える」を分けるためです。
- 仮説を確かめる指標と比較条件を決める。 まず公的統計や原資料から、対象に近い範囲の売上・件数を同じ期間で確認します。必要な細分化データがなければ、その不足を記録し、「市場全体が伸びているので自社にも需要がある」と結論づけないようにします。
- 自社が狙う顧客の行動を調べる。 候補企業に、現在の研修の実施状況、予算、決裁者、代替サービス、導入を見送る理由を聞きます。ニュースへの関心や「面白そう」という返事だけでなく、提示した条件で試用・見積もり・有料契約に進めるかを別に確かめます。
- 結果に応じて投資規模を変える。 公的データでも対象顧客の需要でも増加が確認でき、採算条件が合うなら次の投資を検討します。市場全体は伸びても対象顧客の支払い意向が弱ければ、顧客層や価格を見直します。十分なデータがない段階なら、期間と費用を区切った試行や判断の保留を選びます。
会議では、例えば「ニュースでは『急拡大』とありますが、売上高と導入件数のどちらでしょうか。自社の対象顧客に限った数字はありますか」と聞くと、話題への賛否ではなく、確認できる事実から議論を始められます。この問いかけも実務上の提案であり、相手の反応や事業の成功を保証するものではありません。
参考文献・出典
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1973). Availability: A heuristic for judging frequency and probability. Cognitive Psychology, 5(2), 207–232. ― 思い出しやすさと頻度・確率判断との関係。出版社の要旨を確認。
- Lichtenstein, S., Slovic, P., Fischhoff, B., Layman, M., & Combs, B. (1978). Judged frequency of lethal events. Journal of Experimental Psychology: Human Learning and Memory, 4(6), 551–578. ― 死因の実際の頻度と人々の頻度判断の差。大学の公開要旨を確認。
- Combs, B., & Slovic, P. (1979). Newspaper coverage of causes of death. Journalism Quarterly, 56(4), 837–843, 849. ― 米国2紙の報道の偏りと先行研究での頻度判断の対応。書誌と公開要旨を確認。
- 経済産業省「商業動態統計」― 卸売・小売業の販売動向を調べる際の公式資料。
- 総務省統計局「サービス産業動態統計調査」― サービス産業の月次動向、および2025年からの調査制度を確認する公式資料。
- 総務省・経済産業省「経済構造実態調査」― 産業の構造・範囲を確認する公式資料。