最初の見積額から値引くことが目的になった交渉|必要な条件に戻す

営業・交渉
Psychology Laws 編集部

商談で最初の見積額を見たあと、「そこから何%下げてもらえるか」だけが交渉の中心になることがあります。顧客側は大きな値引きを引き出したいと考え、営業側も値引きに応じて早く合意したくなるかもしれません。しかし、値引き幅が大きいことと、必要な商品・サービスを納得できる条件で得られることは別です。

値引き交渉が続いたら、いったん「何%下がったか」から離れ、何を使うための取引か、譲れない条件は何か、変更後に支払う総額と引き受ける負担はいくらかに戻ります。値引き後も同じ範囲を提供でき、条件が合っているなら、その値引きは意味があります。逆に、安くなった代わりに必要な機能や支援が外れたなら、値引き率だけで合意を決めない方がよいでしょう。

「最初の金額から何%引けたか」が目的になりやすい理由

説明用の仮の場面です。顧客企業の購買担当者が、業務システムの導入について税抜300万円の見積もりを受け取りました。対象は4拠点、契約期間は12か月で、データ移行と土曜日のサポートを含みます。担当者は商談を重ねるうち、「20%値引きしてもらえれば交渉は成功だ」と考えるようになりました。販売会社も、その数字なら受注できると思い、契約の内容を一部変更して240万円を提示しようとしています。

最初の300万円を見た後は、その金額と比べて60万円安くなったことが目立ちます。このように最初の数字が後の判断の基準になり得る現象は「アンカリング効果」と呼ばれます。GalinskyとMussweiler(2001)は、買い手と売り手に分かれた交渉について3つの実験を行い、最初に金額を提示した側が経済的に有利な結果を得やすく、その提示額が最終的な合意価格と強く関係することを報告しました。ただし、提示を受けた側が自分の目標価格や相手の代替案など、最初の提示とは別の情報に注意を向けると、先行提示の優位性は見られなくなりました。Galinsky・Mussweiler(2001)の研究要旨

この研究は実験上の価格交渉を調べたもので、「値引きを目標にした顧客が必ず損をする」と示したものではありません。数字を比べるときに何を出発点にするかが判断に関わる、という範囲で参考になります。アンカリング効果の解説では、価格の初回提示について詳しく扱っています。

さらにThaler(1985)は、商品そのものを手に入れる価値と、「得な取引ができた」と感じる価値を区別した購買行動のモデルを提示しました。前者は、商品から得られる価値と支払いを比べる考え方です。後者は、支払う価格が期待していた価格や比較対象より安いかどうかに関わります。Thaler(1985)の論文概要

この区別は、値引き交渉がなぜ魅力的に感じられるのかを考える手がかりになります。ただし、これは消費者の購買行動を説明するモデルであり、個別の法人交渉でどちらの心理が働いたかを直接判定できるものではありません。

Mühlbacher・Kirchler・Kunz(2011)は、衣類を購入する場面について2つの実験を行いました。実験1(90人)では、基準価格より割高に感じることによる負の影響が、割安に感じることによる正の影響より強いという結果でした。実験2(121人)では、商品の欲しさと取引の割安感の両方が購入意向に影響しましたが、「商品そのものの価値が高ければ割安感の影響は弱まる」という予測は支持されませんでした。Mühlbacherら(2011)の原著論文・要旨

こちらも衣類の購買場面であり、営業交渉の値引き幅を直接検証した研究ではありません。商品の必要性を検討すれば値引きの印象が自動的に消えるわけでもないため、商談では意識的に「値引きした事実」と「契約で得られる内容」を分けて確認する方法が考えられます。

見積変更のたびに、双方が何を譲ったか記録する

ここで確かめたいのは、複数社のどの割引プランが安いかではなく、同じ商談で最初の見積もりから再提案までに何が変わったかです。旧見積書と新しい見積書を並べ、金額だけでなく、双方が何を求め、何を譲る案になったのかを整理します。これは研究で直接検証された交渉手順ではなく、交渉中の合意を取り違えないための実務上の提案です。

  1. 最初に求めた条件は残っているか。4拠点での利用、データ移行、土曜日のサポートなど、顧客が依頼した仕事を見積書のどの項目で約束しているか確認します。金額欄だけを見て同じ内容だと判断しません。
  2. どの項目が値引きと同時に動いたか。基本料金を下げたのか、含まれていた作業を別料金にしたのか、契約期間や対象拠点を変えたのかを記録します。提供範囲まで減っていれば、同じ条件での単純な値引きとは違います。
  3. 互いの負担や約束はどう変わるか。開始日を遅らせる、移行作業を顧客側で担う、支援方法を変えるといった案があれば、誰が何を引き受けるのか確かめます。販売側は対応できる体制と社内承認の要否を確認し、未承認の値引きを確約しません。
  4. 提示・希望・合意を区別できているか。新しい金額を提示したこと、相手が希望を述べたこと、双方が承諾したことを分けて記録します。「20%引きの案を出した」だけでは、契約条件が合意されたことにはなりません。

変更の理由が分からない項目は、見積番号や対象期間を指定して説明を求めます。値引き率だけでは見えない、条件と負担の移動を交渉の途中で確認することが目的です。

20%引きでも、必要な条件を戻すと高くなる場合がある

以下は、比較方法を説明するための架空の見積もりです。実在の会社の価格や業界相場ではありません。価格は税抜き、契約期間はどちらも12か月です。

見積項目 最初の提案 「20%値引き」の再提案
基本の提案額 300万円 240万円
4拠点での利用 含む 含む
必要なデータ移行 含む 別途35万円
土曜日のサポート 含む 別途45万円
移行と土曜支援も必要な場合の総額 300万円 320万円

再提案の基本額は300万円から240万円に下がり、値引き率は20%です。しかし、顧客がデータ移行と土曜日の支援の両方を必要とするなら、240万円+35万円+45万円=320万円となり、最初の提案より20万円高くなります。「20%の値引きに成功した」とだけ記録すると、この違いが見えません。

反対に、土曜日のサポートが不要で、データ移行だけ必要なら、再提案の支払総額は275万円です。その場合は、不要な支援を外して負担を下げられる可能性があります。ただし、当初案とは提供内容が異なるため、割引率だけでなく必要な仕事を満たせるかを確認します。

顧客側には、システムの利用時間と、トラブル時に人が対応する時間が別である点にも注意が必要です。実際の業務で土曜日の支援が必要なのかを決めずに、その有無を価格交渉だけで動かすと、契約後に困る可能性があります。

なお、この表の追加料金は説明用に設定した数字です。現実の商談では各社の正式な見積もりと契約条件を確認し、推測した金額を事実として扱いません。

値引き率から、顧客が必要とする条件へ話を戻す

交渉が「あと何%引けますか」「もうこれ以上は引けません」というやり取りだけになったら、価格交渉をやめるのではなく、どの条件を残すために何を支払うかを話し直します。例えば、顧客側からは次のように尋ねられます。これは説明用の仮の会話例です。

「20%のご調整はありがとうございます。ただ、当社では4拠点で使うことに加え、データ移行と土曜日のサポートが必要です。値引き後の見積もりではその2点が別料金になっていますので、必要な条件をすべて含む総額と、変更できる条件を改めて確認できますか。値引き率ではなく、使い始めてから必要なサービスを受けられるかで判断したいです」

販売側なら、「値引きはできないので我慢してください」とだけ返すのではなく、どの仕事に費用がかかるか、どこなら調整できるかを説明します。例えば「土曜日の電話対応を維持する場合の費用は変わりませんが、開始日を調整すると導入作業の負担を減らせるか、担当部署へ確認します」と、まだ決まっていないことを約束せずに相談できます。

価格が変わる場合には、顧客が何を手放すのかも一緒に示します。機能を削る、支援時間を短縮する、導入日を遅らせるなどの案が顧客の目的を満たさないなら、安くなってもその案を採用する理由にはなりません。

値引き率の押し合いを止め、次の交渉案を作る

「あと何%下げられるか」の話が続くときは、さらに大きな値引きを求める前に、実現したい仕事と、変更できる取引条件を分けて考えます。Galinsky・Mussweiler(2001)の交渉実験では、最初の提示額とは別の情報として、自分の目標や相手の代替案などに注意を向けた条件で、初回提示を行った側の有利さが見られなくなりました。ただし、実際の商談で相手の事情や代替案を確認せずに推測してよいという意味ではありません。Galinsky・Mussweiler(2001)の論文要旨

次の進め方は、この知見を参考に考えた実務上の提案です。手順自体の効果を上記の研究が検証したわけではありません。

  1. 値引き目標を取引の目標に置き換える。買い手なら、4拠点での利用、移行と土曜対応、予算の上限、希望する開始日を整理します。売り手なら提供に必要な体制や採算、対応できる範囲を整理します。双方とも最初の300万円と希望の20%だけを基準にしません。
  2. 同じ条件の案と、条件変更を含む案を分ける。「データ移行と土曜サポート込みの案」と「開始日や顧客側の準備作業を調整した案」などを別々に見積もります。条件を変えて240万円になった案を、同じ取引の純粋な値引きとして扱わないためです。
  3. 変更できる条件について、具体的な代案を出す。導入する拠点の順番、開始日、顧客側で準備できる作業など、目的を損なわない変更候補を話し合います。例えば「開始日を1か月遅らせれば費用を調整できるか確認する」と提案できても、実行可能か、いくら変わるかは正式な見積もりと担当部署で確かめます。
  4. 譲歩と未確定の約束を分けて締める。価格、提供範囲、双方の担当作業、次の回答時期を記録します。社内承認待ちの条件は未確定のまま扱い、重要条件を満たす案がなければ、値引き率を競い続ける前に代替案や交渉の継続可否を検討します。

この方法で値下げや成約が保証されるわけではありません。目標は値引き幅を競うことではなく、必要な仕事を実現でき、双方が引き受けられる約束を探すことです。

商談の報告も「何%引けたか」だけで終えない

社内に交渉結果を報告するときは、最初の提示額と値引き額だけでなく、変更前後の対象範囲、必要な追加費用、顧客が重視した条件、残る未確認事項を記録します。買い手なら必要な業務ができることを、売り手なら約束を守れる体制と採算を、改めて確認する材料になります。

例えば先ほどの架空の案件なら、「300万円から240万円へ20%値引き」という報告では不十分です。「4拠点・12か月の基本料金は240万円。ただしデータ移行と土曜日サポートは別料金で、両方必要な場合は総額320万円。必要条件を含む見積もりを再確認中」と残します。値引き後の金額が確認できても、契約への合意が済んだとは限りません。

相手にとって重要なものが、最初の金額から何万円下がったかだけとは限りません。交渉の途中で目的が値引きそのものへ移っていないか確かめ、必要なサービスを、引き受けられる費用と条件で得る・提供するという本来の判断に戻すことが大切です。

参考文献・出典

  • Galinsky, A. D., & Mussweiler, T.(2001)“First Offers as Anchors: The Role of Perspective-Taking and Negotiator Focus.” Journal of Personality and Social Psychology, 81(4), 657–669. PubMed掲載の論文要旨。買い手・売り手の初回提示と最終合意額、提示を受けた側が別の情報へ注意を向けた場合の結果を調べた3実験。
  • Thaler, R.(1985)“Mental Accounting and Consumer Choice.” Marketing Science, 4(3), 199–214. 出版社掲載の論文概要。購入対象から得る価値と、比較価格に対して取引が得に感じられる価値を区別する購買モデルの根拠。
  • Mühlbacher, S., Kirchler, E., & Kunz, A.(2011)“The Impact of Transaction Utility on Consumer Decisions: The Role of Loss Aversion and of Acquisition Utility.” Zeitschrift für Psychologie, 219(4), 217–223. 著者公開の原著論文・要旨(ウィーン大学の書誌情報)。衣類購入を題材に、基準価格との比較による割安感・割高感と、商品の欲しさが購入意向に関わる条件を調べた2実験。