時間をかけて提案した顧客の追加依頼を断りにくいとき|引き受ける条件を考える

営業・交渉
Psychology Laws 編集部

顧客と何度も打ち合わせをし、提案書の作成に時間をかけた後、「契約をするなら、この追加作業も無料でお願いしたい」と言われることがあります。「ここで断れば、それまでの努力が無駄になる」と感じるかもしれません。

そんなときは、すでに費やした提案時間と、これから必要になる作業を分けて判断します。追加依頼が元の約束に含まれるか、今後の工数・費用・納期はいくらか、顧客の目的をほかの方法でも満たせるかを確かめます。条件が合えば引き受けられますが、追加料金、対応範囲の調整、見送りを選ぶ場合もあります。提案にかけた時間を大切にすることと、無理な条件で受注することは別です。

時間をかけた提案ほど、追加依頼を断りにくいのはなぜか

説明用の仮の場面です。ある営業担当者が、顧客の業務を調べて提案書を完成させるまでに20時間を使いました。システム導入額は120万円(税抜)です。まだ発注されていませんが、顧客から「専用データ変換と部署別研修まで含めてくれたら契約を検討します」と言われました。担当者は、ここまで準備した案件を失いたくないと感じています。

このような場面では、過去に使って取り戻せない時間や金額が、その後の判断に影響する可能性があります。ArkesとBlumer(1985)は、演劇の定期券を高額で購入した人が、安く購入した人よりその後6か月間に多く観劇したという現場での結果と、質問紙実験を報告しました。Arkes・Blumer(1985)の論文要旨。これは「サンクコスト効果」と呼ばれる現象の一例で、サンクコスト効果の解説でも仕組みを扱っています。

ただし、演劇の定期券と営業提案は異なる場面です。とくに時間の投入による影響については、研究間で結果が一致していません。Soman(2001)は、時間と金銭の過去の投入を比較する選択実験で、初めの3実験では時間だけの投入による効果は確認できず、時間を金額で表現するなどの条件では影響が見られたと報告しました。Soman(2001)の論文要旨

NavarroとFantino(2009)は、4つの質問紙実験と3つの行動実験で、費やした時間が継続判断に影響する条件を示しました。行動実験では、本人がその活動を自分で選んだかどうかなど、責任の持ち方によって結果が異なりました。Navarro・Fantino(2009)の論文要旨。また、Petrovら(2023)は米国のオンライン参加者821人でSomanの研究の一部を事前登録して再検証し、時間より金銭の影響が強い実験と、時間にも影響が現れた実験の両方を報告しました。時間を金銭と同じように把握しやすくする働きかけの効果は再確認できませんでした。Petrovら(2023)の再検証研究

これらは主に実験上の選択課題であり、営業担当者が追加作業を承諾する確率を直接調べたものではありません。今回も「時間をかけたから必ず心理的な偏りが生じる」と決めつけるのではなく、「今後の条件が妥当だから受けたい」のか、「これまでの20時間を無駄にしたくないから受けたい」のかを分けて確かめます。

追加依頼を受ける前に、何を約束したかを確認する

追加料金を求める前に、当初の見積書・提案書・メールを確認します。顧客が「最初から含まれると思っていた」と感じている場合もあります。そこを曖昧なまま、追加を断ったり引き受けたりしないようにします。

  1. 最初の範囲:機能、データ移行、研修回数、対象部署、納期を確かめます。すでに約束していた内容なら、新しい仕事として一方的に別料金へ変えないようにします。
  2. 今回増える範囲:専用変換のデータ形式・件数、部署別研修の人数・回数、資料作成、作業期限を確認します。「少しだけ」の言葉から工数を推測しません。
  3. 正式な合意の状態:提案を送っただけか、条件を承諾されたか、契約が成立しているかを、記録から確かめます。契約上の義務がある場合は営業担当者だけで変更せず、契約・法務担当と対応を確認します。
  4. 顧客の目的:部署ごとに説明が必要な理由や、共通研修で代替できるかを聞きます。費用を下げるために、必要な品質や成果物を勝手に削りません。

顧客が追加を求めたからといって、意図的に負担を押し付けようとしているとは限りません。提案を読んで初めて必要な作業に気づいた可能性もあります。事実と推測を分け、変更の理由を一緒に確認します。

過去の20時間と、これからの28万円を混ぜずに比べる

以下は説明用の架空の費用と時間です。実際の企業の相場や実績を示すものではありません。提案にすでに使った20時間は、追加を引き受けても断っても戻りません。一方、新しいデータ変換と研修には、これから人員と費用が必要です。

当初の契約額を120万円、今後の導入作業・外注費などの直接費用を80万円と仮定します。追加のデータ変換に24時間、部署別研修に12時間、1時間当たりの社内計算上の費用を5,000円、外注費を10万円と見積もると、追加費用は(24+12)時間×5,000円+10万円=28万円です。

検討する条件 契約額(税抜) 今後の直接費用 差額
当初の提案範囲で契約 120万円 80万円 40万円
追加作業も同額で引き受ける 120万円 108万円 12万円
追加費用28万円を別料金にできた場合 148万円 108万円 40万円

同額のまま追加作業を引き受けると、今後の直接費用を引いた差額は40万円から12万円へ減ります。追加料金を受け取れる案は、顧客が同意した場合だけ成り立つ仮定です。また、この差額は会社全体の最終利益ではなく、まだ契約前なら売上も確定していません。

提案に費やした20時間を、案件全体の振り返りや社内の採算記録から消す必要はありません。ただ、すでに使った時間を取り戻したいという理由だけで、新たな28万円の負担を正当化しないようにします。追加対応のためにほかの案件が遅れる場合は、その影響も確かめます。

Heath(1995)は、過去の投資を踏まえた追加投資判断の実験で、以前の投資に引きずられて続けすぎる場合だけでなく、予算を意識することで逆に早く打ち切りすぎる場合も示しました。時間とお金のどちらをすでに失ったかで、追加投入の仕方が違う結果も報告しました。Heath(1995)の論文要旨。したがって、単に上限を置けば必ず正しく判断できるとも言えません。以下は研究で効果を直接検証した営業手順ではなく、実務上の提案です。

追加の負担と顧客の必要条件で、対応を分ける

  • 当初の提案や合意に含まれる仕事だった場合:約束した範囲として実行方法を確認します。納期などに問題があるなら、必要な手続きを関係部署と検討します。
  • 範囲外で、費用と人員を確保できる場合:追加作業の内容・金額・納期・担当を分けて見積もり、顧客の同意と社内承認を経て引き受けます。
  • 別の方法でも顧客の目的を満たせる場合:部署別の研修を共通研修にするなど、範囲や費用を調整した案を検討します。顧客の必須条件を満たすことが前提です。
  • 費用・納期・品質の条件を守れない場合:そのまま無償で引き受けず、条件の再相談や追加依頼の見送りを伝えます。取引全体を見送る場合も、すでに負っている義務は別に確認します。

「過去の努力を無駄にしたくない」という気持ちだけが判断理由なら、いったん今後の条件を調べ直します。一方、今後の費用に見合う取引価値や、実行できる体制を確認した上で引き受けるなら、追加対応そのものが間違いというわけではありません。

顧客には、提案時間より追加する仕事と条件を説明する

「ここまで長時間かけたのに」と伝えるだけでは、追加作業の内容や費用は分かりません。当初の提案で約束したことと、新しい希望を区別して相談します。次は説明用の仮の会話例です。

「ご検討いただきありがとうございます。専用データ変換と部署別の研修について、対象と必要な作業を確認させてください。当初の120万円の提案には標準の導入作業を含めていますが、今回の個別対応は別の作業になる見込みです。追加費用のお見積もりと、研修をまとめる案も検討できますので、御社で必ず必要となる内容と時期を教えていただけますか」

顧客が「元の見積もりに含まれると思っていた」と答えた場合は、提案書と過去の説明を一緒に確認します。営業側が曖昧な説明をしていたなら、その点も見直します。まだ決まっていない追加料金や作業範囲を、承諾済みとして扱わないことが大切です。

社内では「20時間使ったので断れない」ではなく、「追加作業は今後36時間と外注費10万円が必要な見込みで、同額受注なら契約額と直接費用の差額が12万円になる試算です。追加料金と範囲調整を顧客へ相談したいです」と報告します。必要なら別案件への影響や承認範囲も伝えます。

受注できなくても、顧客から学んだことや別案件で使える資料が残る場合もあります。ただし、未確認の将来利益を勝手に見込んで、今回の負担を正当化しません。過去の提案努力を大切にしながら、新しい依頼は現在の条件で判断することが、顧客への誠実さと無理のない営業活動につながります。

参考文献・出典

  • Arkes, H. R., & Blumer, C.(1985)“The Psychology of Sunk Cost.” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124–140. 出版社の論文要旨。演劇の定期券の価格と観劇行動、および過去の支出が判断に及ぼす影響を扱った研究。
  • Soman, D.(2001)“The Mental Accounting of Sunk Time Costs: Why Time Is Not Like Money.” Journal of Behavioral Decision Making, 14(3), 169–185. 出版社の論文要旨。時間と金銭の投入による判断を比べ、時間だけでは影響が見られなかった条件を含む実験。
  • Navarro, A. D., & Fantino, E.(2009)“The Sunk-Time Effect: An Exploration.” Journal of Behavioral Decision Making, 22(3), 252–270. PubMed掲載の論文要旨。質問紙・行動実験による時間の投入と継続選択の関係。
  • Petrov, N. B. ら(2023)“Sunk Cost Effects for Time Versus Money: Replication and Extensions Registered Report of Soman (2001).” International Review of Social Psychology, 36(1), Article 17. 出版社の再検証研究。米国のオンライン参加者821人で一部の結果の再現性と条件による違いを検証した研究。
  • Heath, C.(1995)“Escalation and De-escalation of Commitment in Response to Sunk Costs: The Role of Budgeting in Mental Accounting.” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 62(1), 38–54. 出版社の論文要旨。予算の把握と追加投資の継続・打ち切りの判断を比較した研究。