業界の慣行どおりなら取引条件は妥当?顧客への価値から点検する
商談で「この契約期間やサポート条件は業界では普通です」と説明すると、取引先も納得してくれそうに感じることがあります。しかし、業界でよく使われる条件と、その顧客にとって価値のある条件は同じではありません。慣行には運用上の理由がある場合もありますが、顧客の利用人数や仕事の時間帯、必要な支援と合っていなければ、標準どおりの契約でも負担が大きくなる可能性があります。
営業担当者は、まず「業界では普通」が何を指しているか、なぜその条件になっているかを確かめます。そのうえで、顧客が何を受け取れ、どんな費用や作業を負担するかを比較します。標準条件で必要な価値を提供できるならそのまま提案できますし、合わない部分があれば変更可能かを確認します。変更できない場合も、理由と制約を正確に伝え、他の選択肢を顧客が判断できるようにします。
「業界では普通」が、条件を受け入れる理由になりやすいのはなぜか
説明用の仮の場面です。企業向け受発注システムの営業担当者が、見積書の「最低20ユーザー・契約24か月・電話サポートは平日9〜17時」という条件について顧客から質問されました。担当者は「こういう契約は業界で一般的です」と答えます。しかし顧客は、当初は8人で利用を始め、土曜日にも受発注業務を行う予定でした。
「多くの会社が同じ方法を取っている」という説明は、判断の手がかりになります。Cialdini・Reno・Kallgren(1990)は、公共の場でのごみのポイ捨てについて5つの自然な場面を使った研究で、多くの人が実際にしていることと、周囲から望ましいと認められていることを区別しました。どちらの情報が意識されるかによって、参加者の行動が異なることを報告しています。Cialdiniら(1990)の論文情報・要旨
ただし、環境にある小さな手がかりの効果がいつも同じになるわけではありません。Bergquistら(2021)は、この研究の一部を屋内駐車場とスーパーマーケットでの2つの現場実験、および1つのオンライン実験で再検証しました(合計1,798人)。ごみが散乱した場所より、きれいな場所でポイ捨てが少ないという方向の結果は再現されました。一方、きれいな場所にごみを1つだけ置くと捨てる行動が減るという元の結果は再現されず、逆方向になりました。Bergquistら(2021)の再検証研究
これらはポイ捨ての行動に関する研究であり、業界の標準契約や企業間の取引条件を直接調べたものではありません。それでも、周囲で一般的な行動が「この方法でよさそうだ」と考える手がかりになる一方、その影響は場面や情報の示し方によって異なると分かります。関連する心理は、社会的証明の解説でも扱っています。
実際の商談では「一般的だからよい」と結論を急がず、業界でどれほど使われているかという事実と、その条件が今回の顧客に適しているかという判断を分けて考えます。相手が慣行を持ち出したことだけで、意図的に押し切ろうとしているとも決めつけません。
慣行に沿った価格でも、顧客にとって妥当とは限らない
取引条件への納得感は、価格の安さだけで決まるわけではありません。Maxwell(2002)は、消費者が価格を公平と感じる際に、金額だけでなく、価格を決める方法やルールをどう受け止めるかを2つの研究で調べました。1つ目の研究では、価格が一般に認められるルールに沿っていると感じることが、販売側の価格決定手続きの公平さの評価に関わり、販売側への態度や購入意向とも関係しました。2つ目の研究では、販売側がどのような手続きで価格を決めたかという情報を示すと、価格の受け止め方が変わりました。Maxwell(2002)の論文要旨
この研究が示したのは、価格の決め方に関する情報が、買い手の公平感に関わることです。「業界のルールに従えば必ず公平」「慣行どおりなら購入される」と証明したものではありません。どんなルールで、なぜその条件なのかを説明できることは大切ですが、それだけで顧客が必要なサービスを受け取れるわけではありません。
顧客側の価値に目を向けたMenon・Homburg・Beutin(2005)は、米国とドイツの製造業の購買担当者981人を対象に、企業間取引で認識される価値を調査しました。基本的な製品の利点と追加の利点に加え、購入価格、調達するための費用、実際の運用費用などを分けて捉え、製品・取引関係・供給企業の特徴が利点と負担の評価に関わるという研究上の仮説を検討しました。Menonら(2005)の論文要旨
こちらは製造業の購買担当者を対象にした調査であり、今回のシステム契約について最適な年数やサポート時間を実験で示したものではありません。実務への応用として、顧客が受ける便益と、契約・導入・運用に伴う負担を並べることが考えられます。
標準条件の妥当性を判断する前に、何を確かめるか
ここからは研究でそのまま検証された契約の確認手順ではなく、先ほどの知見を参考に考えた実務上の提案です。
- 「慣行」の出所はどこか。法令・業界団体の基準で求められることなのか、自社の標準プランなのか、ほかの取引先でもよく使われる条件なのかを区別します。「業界で決まっている」と説明するなら、適用範囲や資料を確認します。法令上の義務と単なる取引上の慣行を混同しないことが必要です。
- その条件が生まれた理由は何か。長い契約期間が初期設定費用の回収や保守体制の確保と関係するのか、利用人数の下限が運用上の制約なのかなど、理由を社内で確かめます。理由が未確認なら想像で補わず、商品・契約の担当部署に尋ねます。
- 顧客の業務に何が必要か。利用人数が増える予定、稼働する曜日・時間帯、導入時に担当者ができる作業、支援がないと困る場面を聞きます。標準のサポート内容で足りる顧客もいれば、週末に人の対応が必要な顧客もいます。
- 顧客が引き受ける負担の全体はどれくらいか。利用料だけでなく、初期設定、追加支援、研修、運用の手間、最低契約期間、変更・途中解約の条件を確認します。何かを変更した場合の追加費用や、社内承認が必要な条件もそろえます。
実務では、標準条件を変更できない理由があることも珍しくありません。変更できると約束する前に、担当部署と承認権限を確認します。適用すべき法令や契約上の疑問がある場合は、営業担当者だけで判断せず、法務などの担当者にも相談します。
同じ業界の標準プランでも、顧客によって価値が変わる
冒頭の受発注システムの例を、架空の標準プランと架空の顧客条件として整理します。実在する企業の料金体系や業界の相場を表すものではありません。
| 提示した標準条件 | この顧客の利用予定 | 確認して判断すること |
|---|---|---|
| 最低20ユーザー | 導入当初は8人 | 今後の増員予定、人数を減らせる契約の有無、未使用分の負担 |
| 最低24か月の契約 | まず半年ほど試して運用を確認したい | 試用・短期契約の可否、途中解約条件、導入準備費用との関係 |
| 電話サポートは平日9〜17時 | 土曜日も受発注する | 週末に障害が起きたときの対応方法、追加支援の有無と費用 |
| 初期設定は標準作業のみ | 既存データの整理・移行が必要 | 顧客側の作業、追加支援の範囲、移行できない項目 |
例えば月額12万円、最低24か月、途中解約で残りの支払いが免除されないという仮の条件なら、月額だけを見ず、12万円×24か月=288万円(税抜、初期費用別)という契約期間中の支払いも確認します。最初の12か月分は144万円でも、契約上の負担がそこで終わるわけではありません。実際の契約でこの計算が当てはまるかは、解約・変更条件によります。
この顧客にとっては、週末の支援や少人数での開始が重要かもしれません。一方、最初から20人以上が利用し、平日のみ稼働し、長期導入が決まっている別の顧客には、標準条件が合っている可能性もあります。「業界標準は悪い」と考えるのではなく、何を受け取れて、使わない部分と不足する部分は何かを見ます。
顧客の希望に合わせた短期契約や小規模プランを、自社が実際に提供できるとは限りません。可能性がある案は社内で確認し、提供できない案を商談で確約しないようにします。
慣行を説明したうえで、顧客が判断できる提案にする
「業界ではそうなっています」と答えて終えるより、標準条件の理由と顧客の必要事項を分けて話すと、確認すべきことが明確になります。以下は説明用の仮の会話例です。
「当社の標準プランは20ユーザー以上、24か月契約で、電話サポートは平日9〜17時です。ただ、『業界で一般的』という説明だけでは御社に合うか判断できません。最初の利用人数と、土曜日に必要な対応をもう少し確認させてください。契約期間や利用人数を変更できるかは社内で確認し、変更できない場合も理由と負担を明示した見積もりをご案内します」
確認結果によって、提案を分けます。
- 標準条件が顧客の業務に合う場合:何に価値があり、費用と負担がどの範囲かを示して標準プランを案内します。標準であるという説明より、顧客の必要条件に合う理由を明確にします。
- 一部を変更でき、費用や役割を確認できる場合:変更する部分、追加料金、実際に提供する作業を文書で示します。標準案と変更案は同じ利用条件・期間で比べられるようにします。
- 変更できず、顧客の必須条件に合わない場合:変更できない理由を説明し、顧客にとって不足する条件も隠しません。必要なら別の方法や提供会社を比較してもらう判断もあります。
- 変更の可否・費用がまだ分からない場合:確認先、回答予定日、未確定の項目を伝えます。希望に沿えると断定せず、顧客が最終判断する前に情報をそろえます。
業界慣行は、これまでの取引で必要とされてきた理由を知る手がかりになります。しかし、それが今回の顧客の価値を測る唯一の基準にはなりません。慣行の根拠、顧客が必要とする利点、引き受ける負担を分けて確認することが、取引条件を説明し、提案を選んでもらうための出発点です。
参考文献・出典
- Cialdini, R. B., Reno, R. R., & Kallgren, C. A.(1990)“A Focus Theory of Normative Conduct: Recycling the Concept of Norms to Reduce Littering in Public Places.” Journal of Personality and Social Psychology, 58(6), 1015–1026. 論文DOI・原著情報。多くの人が実際にする行動と社会的に望ましいとされる行動を区別し、ごみの投棄行動を5つの自然な場面で調べた研究。
- Bergquist, M. ら(2021)“Replicating the Focus Theory of Normative Conduct as Tested by Cialdini et al. (1990).” Journal of Environmental Psychology, 74, 101573. 出版社の原著論文・要旨。元研究の一部を再検証し、きれいな環境と散乱した環境の比較は再現した一方、ごみ1つによる効果は逆方向だった研究。
- Maxwell, S.(2002)“Rule-Based Price Fairness and Its Effect on Willingness to Purchase.” Journal of Economic Psychology, 23(2), 191–212. 出版社の論文要旨。価格の決め方や、その過程がルールに沿っているという情報が価格の公平感・販売者への態度・購入意向に関わるか調べた2研究。
- Menon, A., Homburg, C., & Beutin, N.(2005)“Understanding Customer Value in Business-to-Business Relationships.” Journal of Business-to-Business Marketing, 12(2), 1–38. 出版社の論文要旨。米国とドイツの製造業の購買担当者981人を調べ、基本的な利点・追加の利点と購入・調達・運用の負担を分けて検討した研究。